ミャンマーのインターネット事情:Mc Will


新しくサービスが始まったMc Will。
無線回線を使ったネットでヤンゴン、マンダレー、ネーピードで使用可能。
初期工事費は56万チャット(約5万6千円)
専用モデム28万チャット(約2万8千円)
使用料金は回線速度によって異なり、インターネットは1分辺り2~8チャット(最大1MB)
IP電話も使用可能で1分当たり50チャット。
ヤンゴンでの申し込み事務所は Yadanapon Teleport (tel:01-515250)
外国人名義での購入も可能。
申請入金後1週間で使用可能とのこと。

大使館からのお知らせ 平成23年3月18日

大使館からのお知らせ
平成23年3月18日
日本大使館 領事部
  ~東北地方太平洋沖地震:ヤンゴン空港等における放射能検査の開始など~
1.ヤンゴン国際空港等における放射能検査の開始
  ミャンマーの入国管理局等によると、東北地方太平洋沖地震により被災した福島第一原子力発電所での放射能漏れ事故を受けた措置として、18日からヤンゴン国際空港及びマンダレー国際空港において、日本からの渡航者・預入荷物に対し、放射能検査を開始した由です。
  具体的には、両空港の入国管理カウンターにて日本からの渡航者か否かを確認し、日本からの渡航者に対してのみ放射能検査を実施する由です。また、日本からの預入荷物についても検査を実施する模様ですが、検査場所等は適宜対応していく由です。仮に渡航者から放射能が検知された場合には、服を着替えたり、シャワーを浴びたり等の措置を処した後に再度検査等を行う見込みとのことです。
  つきましては、日本からの渡航者は、入国手続きに長時間を要することが見込まれますので、ご注意ください。
  なお、これらの検査については事前の予告なしに変更される可能性がありますので、最新の情報はヤンゴン国際空港等にお問い合わせください。

クラシック・コンサ-ト開催のご案内


3月26、27の両日、ヤンゴンのインヤレイクホテルで、ドイツ大使館主催でのクラシック・コンサ-トが開催されます。
『Liebestraum』
3月26日(土)18時開演
出演:Friedrich Kleinknecht(チェロ)、Sumiko Hayashi(林 澄子 ピアノ)
曲目:リスト、ワ-グナ-、ベ-ト-ヴェン、メンデルスゾ-ンの作品
入場無料
3月27日(日)15時開演
「プロムナ-ド・コンサ-ト」
出演:Gitameit Music Center、Friedrich Kleinknecht(チェロ)、Sumiko Hayashi(林 澄子 ピアノ)
曲目: リスト、ワ-グナ-、ベルリオ-ズ、シルヒャ-の作品
入場無料
詳細はホ-ムペ-ジ http://siamclassics.jimdo.com まで

パダウの花が咲きました!


ここヤンゴンでも東北関東大震災のニュースは流れており、行く先々で日本は大丈夫?と声をかけられます。東北関東大震災で被災された方々にお悔やみ申し上げます.
最近午後に短時間の雷雨が発生するヤンゴン。そのためか、例年より早くパダウの花が咲き始めました。
4月12日から水掛祭りが始まり16日まで国内水を掛け合います。市内では水鉄砲やサングラスなど水祭り用グッズも多く売られています。

ヤンゴン日本人墓地での納骨式


昨年永眠された稲田 清さん(元 安兵団野砲兵第53連隊第7中隊所属)の納骨式にお邪魔しました。
生前、稲田さんは「自分の人生はビルマで終わっている。生きて帰れた第二の人生は慰霊に尽くしたい。」と話されていたそうです。
戦後ビルマで初めて行われた日緬政府合同遺骨収集団に加わり、その後毎年1~2回慰霊に来緬されておられました。
戦時中、自らの腕の中で亡くなった戦友や自ら遺骨を埋めた戦友の場所を記憶し、戦後それらの場所を回り、慰霊を行っていたそうです。また、渡航許可が許す限りミャンマー全国を回られていたそうです。
娘の幸子さんに残された遺言は、「自分の人生はビルマで終わっている。死んだら分骨してビルマに埋葬して欲しい」とのことで、今回、ヤンゴン日本人墓地にお墓が作られ毎年訪れていたこの季節に幸子さん、そして孫にあたるその息子さんの憲佑さんが参列して納骨式が行われました。
遺言には日本人墓地に埋葬して欲しいとは語っておらず、シッタン河に流して散骨し命を全うしたい。と伝えていたそうですが、いつもお世話になっていたミャンマーの方々が今回日本人墓地にお墓を作る努力をされたそうです。
「ミャンマーの方々の暖かさ、人間の深さ、生前での父だけでなく、亡くなったにも関わらず、まだその思いを継いでくれ感謝でいっぱい。父も安心して眠れます」と幸子さんは語っておられました。
「ビルマの人々は戦時中自らの食料も不足しているのにも関わらず、日本兵に米を自ら持ってきてくれたり本当に親切にしてくれた。」父親である稲田さんから、幼い頃からビルマ戦の話をよく聞き育ったそうです。また、辛い事、悲しいことよりも、ビルマの人々のやさしさの話をよく話されていたそうです。
そのような経験から、稲田さんは戦後、戦友への慰霊だけでなく、敵であった連合国の人々、そしてビルマの人々など皆に対して慰霊を行っておられたそうで、タウンダーに自らパゴダを建設、学校などに寄付をしてこられています。
3回目のミャンマー訪問となった孫の憲佑さんは今年高校を卒業して春から大学生。「ビルマの人の暖かさなどは祖父を通して見て聞いてよく知っています。母と同じく実際の戦争を知りませんが、この地に来ると祖父が銃をもって戦っていた風景が想像でき、戦争を身近に感じることができます。これからは自分達で祖父の意思を引き継いでいきたいです。」
と語ってくれました。
稲田 清さんのご冥福お祈り致します。