ビジネス
ミャンマー現地情報 ヤンゴンナウ
Essay by Nishigaki Mitsuru 西垣 充のエッセイ
17
ヤンゴンプレス3号連載記事 最終回
2018/05/16
16
ヤンゴンプレス3号連載記事 第2回
2018/05/16
15
ヤンゴンプレス3号連載記事 第1回
2018/05/16
14
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 2017年度版
2017/08/20
13
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 2010年度版
2010/8/02
12
ミャンマーの視覚障害者が働く医療マッサージ店「GENKY」の概略
2009/5/03
11
「GENKY」 視覚障害者が働く医療マッサージ店開店
2009/3/24
10
ガパリビーチを楽しむ
2004/4/22
9
グエサウンビーチ紀行
2004/3/30
8
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 後編
2004/2/25
7
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 中編
2004/2/25
6
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 前編
2004/2/25
5
過熱・ヤンゴン塾戦争-
2000/5/27
4
映画関係者が集まる喫茶店
2000/5/27
3
働く人たち --サイカー編--
2000/3/13
2
ヤンゴンで映画を見る
2000/2/20
1
はじめに
2000/2/20
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 中編
by 西垣 充
さてヤンゴン駐在員としてやってきた私が就職した会社は旅行会社でした。2年間働き日本への帰国命令が出ました。この2年間で「ミャンマーのためにがんばらなければ」という気持ちは益々強くなっていましたので、申し訳なく思いましたが、帰国を拒否ヤンゴンに残りました。2年間働きながら自分なりにミャンマーでどのように貢献すべきか考えてきました。
NGOという方法もありますが、どこも資金調達にばかり目がいっているような気がして私としてはどうも納得が行きませんでした(関係者の方すみません)。学校建設などハードでないと資金が取りにくいという現実があるのは承知ですが、学校があっても小学校すら卒業できない人が多いこの国で、今やるべきことは学校建設なのか?医者が足りない中で病院を建てることが早急にやるべきなのか?もちろんそれらも必要ですし、それらにより助けられている人も多いと思いますが、こういったことをやる人はいくらでも出てくるので、私は自ら生活するお金を稼ぎながらミャンマーの人々のためになる事業をしようと決意しました。
ミャンマーに来る前に考えたのは就職情報誌を作ることでした。情報が閉ざされていて皆情報不足、そして下から這い上がるシステムがないのが原因ではないかと、2ヶ月旅行しただけで何もわかってないのに(8年生活してもまだまだナゾだらけでよくわかりませんが)、そう勝手に思い込んでしまいました。ミャンマーの人々は一部の人以外、よい給料が得られる仕事につけないことが原因で皆やる気をなくしているのではと考えたからでした。しかし、私が2年間旅行会社で働いた経験でこれは必要ないとわかりました。
ミャンマーでは一般的に新聞広告で求人募集します。運転手を5名程採用しようとして2cm四方の新聞広告を一度掲載したのですが、それだけで200名を超える運転手がやってきました。これを体感しミャンマー自体にそれほど仕事がないので人材は余っている状態で、ほとんどの場合は自分の会社の知り合いで、良い人材が集まってしまい求人募集する必要がない現実をみました。
情報の閉ざされた国ですので、もちろん今でも検閲が厳しく出版業界は非常に閉鎖的な業界です。しかしながら規制のところにビジネスあり。これが悪の元凶と思いあえてこの業界に入り込むことにしました。2年間の生活を踏まえ就職情報誌ではなく、自分が家を借りる時苦労したので、賃貸住宅ニュースのような情報誌があれば、皆にとってよいのではと考え、まずこの情報誌を作ることにしました。
ミャンマーにおいて雑誌に広告を取ってくるという発想はこれまでなく、従って広告を取るための営業という仕事も存在していませんでした。そこで私は広告で雑誌を出版しようと思い、営業を10名程雇い始めました。思った通り、無名雑誌にも関わらず広告はある程度取ることができました。もちろん他社もうちの動きを見て、次々と広告を取る動きを始めました。現在では出版会社が広告を取る営業部署を作るというのは当り前のことになっています。
ミャンマーにおいて雑誌に広告を取ってくるという発想はこれまでなく、従って広告を取るための営業という仕事も存在していませんでした。そこで私は広告で雑誌を出版しようと思い、営業を10名程雇い始めました。思った通り、無名雑誌にも関わらず広告はある程度取ることができました。もちろん他社もうちの動きを見て、次々と広告を取る動きを始めました。現在では出版会社が広告を取る営業部署を作るというのは当り前のことになっています。
こうなれば私の雑誌に住宅情報を掲載する意味はありません。その為、住宅情報はやめ、ビジネス誌に切り替えましたが、結局、検閲には勝てなくまた、利益度外視に行う出版社が数多くある事実に直面し、出版事業から私は手を引きました。(ちなみに私のパートナーは今でもShwe Myanmar Journal という隔週英語雑誌をミャンマーホテル観光省の公式ジャーナルとして出版し続けています。)
他にもテレビからの情報が少ないのは一つの障害だと考え日本のテレビ番組を放送しようとしたことがありますが、あえなく失敗しました。
この2年間で多くのお金を費やしてしまい、またこの間結婚もしましたので、早急にきちんと生計を立てていく必要が生じました。
政府の影響をあまり受けない事業がミャンマーではもっとも安定する事業だと気づき、また日本人としてのメリットが出せるのが旅行会社と一つの結論を出しました。独立した当初、多くの人からなぜ旅行会社は作らないの?と聞かれました。2年間お世話になった旅行会社に申し訳ないと思いあえて旅行会社は作りませんでした。しかし、個人客相手なら競合しないのではと勝手に理解し、インターネットで個人客を相手に旅行を販売することにしました。(私が働いていた会社はランドオペレーターといい、日本の旅行会社の旅行会社で個人客が主要ではありません)
そしてSanay Travelを立ち上げ、ヤンゴンナウの運営へと続いてきます。ちなみにヤンゴンナウとSanay Travelの名前が何故一緒ではないのかと聞かれることが何度かあります。
これは、今でも情報統制が厳しいミャンマーで経営していますので、いつ政府からホームページに記載されたことについて横槍が入るかわからず、またヤンゴンで一緒に働いているミャンマー人スタッフに迷惑がかかってはいけないとの配慮から、ホームページ名はヤンゴンナウになっています。(ヤンゴン便り等も一応自主規制した内容になっていますが、ミャンマー政府のもとで営業、生活しておりますのでご理解の程宜しくお願い致します。)
後編へ続く・・・
(C) 西垣 充