ビジネス
ミャンマーで働く本当の理由 [後編]
Essay by Nishigaki Mitsuru 西垣 充のエッセイ
17
ヤンゴンプレス3号連載記事 最終回
2018/05/16
16
ヤンゴンプレス3号連載記事 第2回
2018/05/16
15
ヤンゴンプレス3号連載記事 第1回
2018/05/16
14
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 2017年度版
2017/08/20
13
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 2010年度版
2010/8/02
12
ミャンマーの視覚障害者が働く医療マッサージ店「GENKY」の概略
2009/5/03
11
「GENKY」 視覚障害者が働く医療マッサージ店開店
2009/3/24
10
ガパリビーチを楽しむ
2004/4/22
9
グエサウンビーチ紀行
2004/3/30
8
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 後編
2004/2/25
7
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 中編
2004/2/25
6
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 前編
2004/2/25
5
過熱・ヤンゴン塾戦争-
2000/5/27
4
映画関係者が集まる喫茶店
2000/5/27
3
働く人たち --サイカー編--
2000/3/13
2
ヤンゴンで映画を見る
2000/2/20
1
はじめに
2000/2/20
ミャンマーで働くことを選んだ本当の理由 後編
by 西垣 充
ヤンゴンナウのホームページのコンセプトは、「ミャンマーは特別な国ではありません」です。常にこのことを念頭において情報を発信し、今後もこのスタンスを続けていくつもりです。テレビ番組製作についても同様です。ロック歌手もファッションモデルもあります。海外サッカーを見れば韓国ドラマも見ます。それらをひたすら伝えていければと考えています。
ミャンマーに来る前と印象が全然違いました。という人が多いと思います。私もその一人でした。赴任当時、地雷は大丈夫でしょうか?戦車は?など、プロの添乗員から聞かれたことも度々ありました。日本に限らず、世界に発信されているミャンマーの情報はあまりに偏っている印象がありました。そこで、きちんとした情報を発信しようと、政治とは一線を引いたことを伝えていこうとこのホームページを作り始めました。
「我々にとってホテル予約等は毎日のルーチンワークであるが、ほとんどの旅行者は一生に一回しかミャンマーに訪れない。常にそのことを頭に入れて手配するように」これは私が旅行手配する社員によく言うセリフです。
私がミャンマーに旅行する前、ミャンマーに旅行したら痩せるという話をよく耳にしました。確かに日本人の口に合わないものもありますが、どこの店でも美味しいというわけではありません。美味しいお店があるのにそれらはどこにも紹介されてないのが原因と思い、レストラン情報はあえて多めに記載しています。
一生に一回訪れられるこのミャンマー旅行を、快適にまたよい印象を持って頂ける内容にするための情報提供・サポート、そして政治一辺倒でない情報を提供する使命がヤンゴンナウだと考えています。
ヤンゴンナウを開始し4年目に入り、ヤンゴンナウ、Sanay Travelsに固執している自分が見えてきました。確かにこれらの管理、運営だけである程度の時間が必要になるのですが、なぜ私がここミャンマーにいるのかがぼやけているのに気づきました。
これまでなぜミャンマーを離れなかったか。それは日本人として生まれたからに他なりません。私の娘の誕生がそれを確固たるものにした原因でした。娘は2004年3月で満3歳になります。
一昨年、ヤンゴン市内の一軒家に住み門番を雇っていました。門番は少数民族のカレン族の家族です。この家族には小学生と娘より2歳年上の2人の娘がいました。私の娘も一緒によく遊んでいたのですが、両親に言われているからか、2人の娘は私の娘を特別に扱います。母親も同様です。それを見て私は本当に不平等な世の中だなあと痛感致しました。まだ物心もついていないのに、日本人の子に生まれるのと門番の家族の子に生まれるのとなぜこんなに違いがあるのだろう。こんなことをいっては失礼ですが、現実を見た場合門番の子供が将来やれることはかなりの制限があると思います。一方私の娘は自分の努力次第である程度自分のやりたい事がやれる人生になるだろうと感じました。門番の娘が努力を怠っているわけでもなく、ただ生まれた場所によってほとんど一生決められてしまうのだと考えさせられました。
同じ仕事をしてもミャンマー人が行うのと日本人が行うのと給料は全く違います。仕事に対する対価が給料ではないとこちらで働くと実感します。日本人ですと一部を除いてどこの国でも行くことができます。また五体満足で仕事を選ばなければいつでもお金を稼ぐことはできます。日本人に生まれたというだけでこれだけの特権を得てしまう、日本人は本当に優遇された国民だと気づかされます。
全世界の20%の人々で全世界の80%を生産していると聞いたことがあります。日本は20%の中で、さらに少なくとも真中より上に位置付けられているのではないかと思います。つまり10%以内、日本人として生まれただけで100人中10位内に位置しているのではないかと考えています。傲慢な考えですが、こちらで生活しているとそれぐらい、もしくはそれ以上の特権は受けているのではないかと感じます。
私は幸いにして、裕福ではありませんが大学まで行け、金銭的にはそれほど不自由がない家庭に生まれました。どこにでもいる普通の日本人ですが、世界の人の10%以内にいる人間なのだ。と考えるようになりました。
自分の努力でそのようになったのではなく、そのような日本人家庭に生まれただけのことなので、そこに生まれた役割を果たさなければならないと、カナダに留学した時に気づかされ、ミャンマーで生活しより強くそのことを感じるようになりました。
ミャンマーよりも貧しい、恵まれない国はたくさんありますが、これまでの私の人生での動き、流れを見る限り、私がいるべき地はミャンマーだと感じています。ミャンマーにいる必要がなくなれば、自然とそういう流れになると思います。それまで、日本人としてできる限りのことを尽くすつもりです。お金があればあるなりに、無ければないなりに、日本人として生まれた役割を果たす、それがミャンマーで働いている理由です。
現在の私の使命の一つは会社の利益をミャンマーの国に効果的に還元することだと認識しています。これまでミャンマーで活動するNGO等の活動を見てきましたが、NGOビジネスを行っているところが多いように感じます。資金先の意向がまずは最優先。予算が出やすく、自分達の事務所経費や給料も見積もりに含めやすい学校建設等のハードの寄付。学校建設はもちろん大切ですが、そのハードを使いこなすソフトはさらに大切です。資金先が・・・ということで、ソフトは自力で頑張ってというところが多く、もともとそういったところに自力で頑張れる力があるはずがありません。
普通のNGOを作っても結局NGOビジネスを展開する結論に至りますので、資金先を見ないで、ミャンマーの人々を見て事業展開ができるよう、自社の利益を資金に新しいモデルを構築していければと考えています。別に名前を残すことが目的でもないのでので、団体など作らず、必要なところに利益配分していければと思います。
「経営とはあらゆる経営資源の価値を最大限に発揮させながら、あらゆる存在の幸福を追求すること」を実践すべく、今後も、ヤンゴンで生活することが目的にならぬよう、気を引き締めて使命を果たさなければと感じています。
(C) 西垣 充