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  • 7年前、単身ミャンマーへ渡り、以来現地に身を置き激動の時代を生き抜く。企業・政府・マスコミ等との長年に渡るビジネスを通して培ったスキルや現地・日本の人脈をフルに活かした調査・進出コンサルティングは在ミャンマー日本人の中でも随一である。 Since 2001/1/1
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ミャンマーを知る読みもの

文化

 漆工芸

Lacquer Ware

by Dr. キンマウンニュ


      ミャンマーにおける漆工芸がいつ始まったかは、学者の間で議論が交わされていますが、 まだはっきりしたことは分かっていません。

      ミャンマーには昔から「パンセイミョ」という言葉があります。 仏陀とナッ神には備えられない花が10種類あるという意味で、 パンとは元来「花」という意味で使われますが、 優れた技術で作られたものも「パン」と呼ばれています。 ここでは後者の意味で使われており、セイミョという言葉は「10種類」という意味です。 ここで言われる10種類とは 1.鍛冶 2.金細工 3.銅細工 4.左官 5.煉瓦 6.彫刻  7.石細工 8.ろくろ 9.絵画 10.漆  の意味と言われています。 この10種類のパンのうち、漆以外の9種類はパガン時代以前の遺跡から発掘されていますが、 漆だけはまだ発掘されていません。 金細工や銅細工とは違い、漆は木製なので腐りやすかったからかもしれません。

      しかし、ピューの都「タイェキッテヤ」を発掘した時見つかった骨壷は 5世紀頃使用されていたと推測されており、銅製で金箔が施してありました。 金箔は普通漆を使って貼り付けるため、当時漆が使用されていた可能性が高いと言えます。

      パガン時代(9世紀-13世紀)に漆工芸が盛んであったことは、 パガンに残る遺跡の壁画から推測できます。 パガンは地理的にも気候的にも昔から漆工芸に適していると言われており、 都として13世紀に滅びましたが、10種類のパン(工芸品)は今も尚受け継がれています。 イラワジ川の東側にあって乾燥地帯にあり年間降水量は40インチにも満たなく、 その上、砂がたくさんあり、太陽の日差しも強いのです。 漆の木が捕れるシャン州からもあまり遠くなく運ぶのも海路、陸路の両方が使えます。 漆品を作るための基礎素材は主に竹とやわらかい木材ですが、 これらはイラワジ川とチンドゥィン川沿いにある山々から豊富に捕れます。

      パガンはミャンマーの都であった上に数多くのパゴダ、僧侶があるところなのでミャンマーの文化的・ 伝統的なものがたくさん集まる場所でもあります。また国内外から観光客もたくさん集まります。 パガンに来た観光客がお土産として買う比率が最も高いのは漆工芸品で、 パガンではもっとも盛んな産業が漆工芸で、住民の多くが漆産業に携わっています。 ある人は季節によってこの漆産業に関わります。 農業との兼業、その日仕事をやりつつ漆工芸を家族全員でできる限り家業としている。

      パガンと回りの村では先祖伝来の仕事として生活し親から子供達へと生活のため、 代々受け継がれています。それに漆の技術を習得しに来る生徒もいます。 漆職人の家族に住み込み一緒に食事をし無給で働き修行します。

      ミャンマーが独立した後パガンでは漆工芸の学校を政府の援助金で設立し、 若い人達に漆工芸の勉強を教えています。現在は協同組合が運営し、 この学校は大学になり政府の援助を受け多くの人達が漆工芸を学んでいます。 この大学には大きな作業場があり遺跡から出土した美術的な漆品も展示されている 漆博物館も学内にあります。この大学からは先生や生徒は、 国際文化交流で漆工芸がさかんな日本、中国、韓国などそれぞれの国の伝統漆工芸を 勉強しに行ったり、またそれらの国からもパガンに来て漆の研究をしています。

      パガンにある「ポードームパゴダ」と「シンピンボーディパゴダ」にある碑文などから、 当時僧侶の托鉢用の鉢に漆が使用されていたことが分かっています。 鉢の蓋は普通、竹と木材と漆で作られます。

      1091年「チャンシィッタ」王が建てたと言われるアーナンダ寺院の壁画には 漆のキンマを入れる入れ物とお盆が書かれてあります。

      また、1174年にはミャンマーの王「ナラパティシィート」がスリランカへ仏教交流のため僧侶を派遣。 その際、たくさんの漆品をみやげ物として持っていったという記録も残っています。 現在、パガンの博物館では考古学者がパゴダなどで発掘したものが展示されています。 そこでは木材に漆を貼り付けた漆品や土、煉瓦、 石などに漆を貼り付けた仏像や宗教的なものが見ることができます。

      第二次世界大戦前、パガン王朝には55代の王が存在しましたが、 52代目の王「ナラティハアテ王」(1255年-1287年)が建てたと言われる 「ミンガラーゼイティパゴダ」の場所から漆の入れ物が発掘されました。 入れ物には1274年と書いてありチーク材でできた丸い入れ物で漆を 張り付けて黄土で染めたものでした。

      文学的にも漆工芸についてはたくさん残っています。

      インワの王「アナウパロンミ王」(1605年-1628年)の時、 インドの王から使節団がミャンマーにやってきました。 この使節団にはラペ(お茶の葉)を漆の入れ物に入れて ご馳走したという記録が残っています。

      また1492年にスリランカに僧侶を22名派遣した際の贈り物としてや、 1744年「マハダマヤザディパティ王」がアユタヤの王に向けての贈り物として、 またコンパウン時代の18-19世紀の時、中国に使節団を送ったときの贈り物として、 それぞれパガンの漆を贈呈していたという記録が残っています。

      漆はいつの時代も王のみやげ物として重宝されていただけでなく、 一般庶民にも広く使用されていました。

      ニャウヤン時代17世紀バティタセヤ大臣が書いた詩の中で「やしの木の実を取る職人など、 貧しい家庭でも漆で作られたお膳(ニーダウン)を使って食事をした」 ということが書かれています。 このお膳は竹に漆を塗ったもので、3つの足があります。 このお膳は今でも僧院などで使用されています。

      漆品は戦争中にも使用されています。 1756年「アウンミンタヤー王」がシリアム(タンニン)のところで戦った時、 漆の盾や兜など使用したという記録も残っています。

      マンダレーの「シュエチーミパゴダ」の境内に僧侶にご馳走するため 使用された大きなご飯を入れるおひつが展示されています。 このおひつは僧侶100人分が入る程の大きさでマンダレー王宮で使用していたもので 現在このパゴダに保管されています。 このおひつにも漆が使用されています。

      19世紀にミャンマーには西洋人がたくさんやってきました。 その記録書の中で1795年と1802年にミャンマーの「ボウドウパヤー王」に 逢いに来たイギリスの使節団の一人「キャプテン・マイケル・サイム」が ミャンマーの漆について下記の如く記しています。

      「漆工芸をあまり重要視しない国が多い中、ビルマでは300年以上も前から栄え、 ビルマという国を代表するすばらしい技術工芸であり、ビルマの王は外国の使節団に対し、 絹の布や宝石などと一緒に漆品を贈呈していた」

      「バージィドウ王」(1819年-1837年)時代でもイギリスの使者 「ジョン・クロフォードが彼の報告書に下記の通り記している。 「ビルマから中国への輸出品の多くは木綿で塩、象牙、ツバメの巣、宝石、漆品などである」

      ミャンマー漆工芸について国内外の研究者と作家が色々書いています。

      ミャンマーの作家では「モンユエゼータウォン総長」「ダゴンネェシン」 「パガンウーキンマウンジー」「ダベニュマウンコーウー」「チャウサーウィントーセインコー」 考古学者では「ウールーペーウィン」「Dr.ペントウ」「Dr.キンマウンニュ」

      外国人では「AFモリス」「エーウィリアムセン」「ジョンロリー」 「Sir・JGスカー」「シルビアフレザール」「スーザンマハ」 「ハンチョウンリー」「カネコ教授」など。

      漆工芸に使われる素材は2種類あります。ひとつは漆の木から出る樹皮を使うもの、 もう一つは樹に集まった虫が出す液体ものです。前者を西洋ではラッカー(lacquer)と呼び、 後者をシェラックshellacと呼んでいます。ミャンマーの漆品は前者の樹皮を使用しています。

      漆の木はシャン州に生えています。中国、日本、韓国にも漆の木はありますが、 ミャンマーの木はそれらの国の漆の木と比べると、ねばねばしていて、 より長持ちすると言われています。

漆の種類は主に6種類に分けられる。

1. チャウカ漆

パガン、チャウカ村で作られているのでこう呼ばれている。 竹、木材などを基礎として漆を何回もつけて地下室で乾かします。 色は赤と黒の二色だけあります。

2. マアン漆

基礎として竹、木材、馬のしっぽの毛を使って、 それらの上に何度も漆をつけ地下室で乾かします。 乾いた土の上に好みのデザインを針ざしで赤、黄、緑、青色などに染めます。 日常品というよりかざりものとか宗教的なものとして作られます。

3. シュエザワー漆

素材は上記の通りで漆をつける量が他の漆にくらべて多い。 乾いた上に好みのデザインを針ざしでデザインした(きずつけた)所に 金箔と金粉を入れる。 金が使われていてまた手間隙がかかるので、高級品として使用される。

4. タヨー漆

動物(牛、水牛、やぎ)の骨を燃やして砕いたものをタヨーと呼び、 籾殻とのこ屑と漆液とをかき混ぜたものを用いて模様を かたどっていく。 植物模様が描かれることが多いのが特徴で、彫刻のようにより立体的な仕上がりになる。

5. マンシーシュエチャ漆(装飾としてガラスをはめ込んだもの)

四角、丸、三角などにガラスを小さく割り、 漆品の上に金箔とガラスを好みのデザインにはめ込み漆を塗り乾かします。 乾燥したら水で洗い流すとガラスの上にのっていた余分な漆や金箔がはがれ綺麗になります。 僧院やお寺の日用家具などに使われています。 金の値段と労費がかかるので、オーダーでのみ作られます。

6. マン漆

仏像に使われる竹を薄くしたものを仏像の形に組みます。 その上から漆をたくさん付け乾かし金箔をはって作られます。 こういった構造から中身は空洞で軽いのが特徴です。 シャン州では竹と木材を基礎として、シャン州の特別な紙(和紙)をはって漆を つけます。 シャン州にはこのようにして作られたマアン漆の仏像があり、 一番大きなマアン漆は「サレ」という町にある「ニーパヤジーパゴダ」にある仏像で、 300年ほど前にイラワジ川が洪水になったとき、流れてきたという言い伝えがあります。 この仏像は高さ18フィート、長さ14フィート6インチです。今は多くの金箔が貼られています。

      ミャンマーの漆にデザインをする技術は、ミャンマーの伝統的な画家の技術を使っています。 それらは4つあります。

1.カノウ
2.カピィ
3.ガザー
4.ナリー

1. カノウはハスの花と葉とクキとつぼみを書くときに使う技術で、 花のようにやわらかいものを書くときにこの技術を使います。

2. カピィはパーリー語で猿という意味です。 猿の形を書くとき使う技術で、猿のように跳んでいるものを書くときにこの技術を使います。

3. カザンはパーリー語で象という意味です。 象のように大きなもの、例えば波のようなものもこの技術を使います。

4. ナリーは女性という意味です。 女の人の絵を書く時の技術で、男性の絵を書くときも使用されます。

      伝統的なミャンマーの絵は曲線に基づいており、画家は実物を見ながらではなく、 自分の想像で絵を書いていきます。 使用する塗料は自然で取れるもので、木、土、砂、石、カルシウム、動物の骨、炭、卵の白身などです。

      ミャンマーの漆は漆の木を素材とするので、 この漆の木を植樹していくことが大切であると言われています。 またこの伝統的な漆の技術を後世に伝えていくことが大切です。