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  • 7年前、単身ミャンマーへ渡り、以来現地に身を置き激動の時代を生き抜く。企業・政府・マスコミ等との長年に渡るビジネスを通して培ったスキルや現地・日本の人脈をフルに活かした調査・進出コンサルティングは在ミャンマー日本人の中でも随一である。 Since 2001/1/1
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ミャンマーを知る読みもの

文化

 モヒンガの歴史

History of Mohinga

by Dr. キンマウンニュ


      ミャンマーは東南アジアにある10ヶ国の中で二番目に大きな国です。 インドネシアがアセアンの国々の中では一番大きく、国の面積はイギリスとフランスを合わせるくらいの大きさです。

      ミャンマーは農業国なので、人口の約90%は農民です。様々な農作物の中でも稲作が主な割合を占めています。昔から山間部や平地などの至るところで米が作られ、いろんな形で食されてきました。 (焼く、煮る、炒める、火にさらす)ミャンマーにあるお菓子もその一つであり、米を粉にして作った麺もその一つです。

      この麺は太さによって3種類に呼び名が分かれます。一番太い順にうどんより少し細いナンジー、そうめんみたいなナンティ、そしてきしめんみたいなナンビャーです。 もしナンジーの麺で作ったサラダはナンジートウと呼ばれます。モヒンガとして食べる麺はナンジーの麺は使わずナンティと呼ばれる麺が使われます。これらの麺を鶏肉、魚、エビ、揚げ物、野菜等で和えてサラダとして食べたりもします。 サラダとして食べる時はスープが付いてきて、この形をモウンティレットと呼びます。このようにサラダとスープという形で食べる習慣もあります。

      ここでモヒンガの起源について述べていきたいと思いますが、まだはっきりとした証拠が見つかっておらず、 今までに分かっている事について述べたいと思います。

      モヒンガについて昔の碑文や筆者本等の歴史的な記録には何も書かれていません。先程出てきたモウンティという言葉は、コウンバン時代(18-19世紀)にミャンマーの文学で初めて見ることができます。 それはこの時代の演劇作家「ウーポンシャ」が、彼の芝居の中に出てくる一つに「モウンティの汁のような丸い形」と書いてあるのがあります。モウンティとモヒンガがもし同じだとしたら、モヒンガがこの時代に存在していたということが推測できます。 というのは、モヒンガをモウンティと呼んでいる地方があるからです。

      また、米を粉にする道具や、それを水に漬けてこす道具のようなものが、近年土の中から多量に発見されました。発見された中にはピュー時代のものも含まれており、 米を作って食べていた時代から既に米で作ったお菓子やご飯の代わりになるモウンティ、モヒンガ等があったのではないかと推測されます。

      これらのことから推測するとモヒンガの起源はおそらくピュー時代(1-9世紀)になるのではと考えられます。

      イギリス植民地時代初め、モヒンガがある小説の中に書いてあるのを私が偶然見つけました。 有名なミャンマー作家である「ヤンアウン先生」は、ミャンマー社会の様々な階級の生活を描写する作家でした。私の記憶では彼は「トータイエー」という新聞に「アンニャタカレー(アンニャタとはミャンマー中央部の乾燥地帯の呼び名、カレーはその地方の人)」という小説を連載していました。 その中の主人公がその地帯でモヒンガを天秤棒で売って生活し恋愛するというストーリーです。

      ここで少し天秤棒でのモヒンガの売り方について触れたいと思います。天秤棒の片方にはモヒンガの麺と付け合せのとうがらし、揚げ物等をきれいに並べ、もう片方には七輪を設置し、その上にモヒンガの汁が入った鍋を置きます。それを肩に乗せて道から道へ歩いて「モヒンガ」と叫んで売ります。お皿を洗う時に使う水は、食べた人の家または周りの民家から頼んで水を使わせてもらいます。 ここ中央部のモヒンガの材料は色々な種類の豆、にんにく、タマネギ、とうがらし、香菜、ザパリン、バナナの茎等です。この地方では魚抜きで作ります。ミャンマーの南部ではモヒンガを作る時には先程の材料に、ナマズ、ヒレナマズ、ニシニゴイダマシ、という魚を入れて作ります。魚は他にも種類はありますが、モヒンガの中に入れて作ることはありません。 これらナマズ、ヒレナマズ、ニシニゴイダマシと限定しているのは、昔から言い伝えられていることをまとめた結果、これらの魚がモヒンガには一番ふさわしいのではないかと、現在考えられています。

      ちなみにこれらの魚が入っていないモヒンガは精進料理として食べます。

      ミャンマーの王様と王妃のために作る食事について書かれた「サートチェッジャン(お料理の本)」という本を一冊見たことがあります。おかずやご飯、またお菓子の作り方などが多量に記録されています。 しかしこの本にはモヒンガのことは記されていませんでした。 この点から見るとモヒンガは王族など裕福な人達が食べる食べ物ではないように思えます。しかしモヒンガは王族達が食べたかも知れません。というのは、モヒンガは一般的によく食べられていたので、歴史的に記録はされなかったのだと思います。

      モヒンガはあまりにも生活に密着していたので誰もこの食べ物を優先して記録に残すということはしなかったようで、 前述したように芝居の中の一節からしか推測するしかありません。

      モヒンガはミャンマーの社会、文化に大きな割合を占めています。そして日常生活で簡単に摂れ、安くおいしい栄養食品です。朝昼問わずいつでもご飯の代わりに手軽に食べられます。 また特別な儀式の時にもこのモヒンガを作ってご馳走します。今日では、モヒンガはミャンマー人だけではなくミャンマーを訪れる人達にも人気の高い食べ物です。

      自然、資源に恵まれ、遺跡も豊富なミャンマーを訪れる人々は滞在期間中、 ミャンマーの食べ物を食していたことからモヒンガを好きになった人もいます。

      この間ヤンゴン中のモヒンガの店が腕を競い合うレースがありました。作り方は各店ごとに工夫されており独特のモヒンガが勢揃いしました。モヒンガは科学的な材料は一切入っておらず自然でできた物ばかりで作られているので、 健康にもよくまた太らないダイエット食でもあります。病院やクリニックの近くにはモヒンガのお店が軒を連ね、患者のために売られたりしています。病気が回復したばかりの患者はモヒンガを食べたい気持ちにかられます。

      モヒンガが人々に好まれる理由のひとつは、宗教、老若、季節を問わずいつでも食べられることです。現在では簡単に作れる(お湯を注ぐだけ)インスタントのモヒンガも発売され、 手軽にモヒンガを作ることができるようになりました。

      ある観光客がミャンマー滞在中モヒンガを毎朝食べていて、こう言いました。「モヒンガはミャンマーのファーストフードで衛生的な食べ物である。 ここにハンバーガー、ホットドッグ等の西洋のファーストフードはいらない。もっとモヒンガーのお店を増やすべきだ」と。