武山真理子さんの本を読んでみました。

mariko (2)

ベトナム戦争下のサイゴンで死にゆく兵士たちを励ますため踊り続け、1964年からバンコクに通い、現在バンコクで居酒屋「まりこ」を営む武山真理子さんの本を読みました。
有名な方で以前ご紹介頂いたのですが、恥ずかしながら全く知らず、せっかくのチャンスを台無しにしてしまいましたが、ずっと気になっていて、今回、本で勉強してみました。
まず思いだしたのは、戦前、ミャンマーに来られ、ほとんど日本にも戻らず2007年93歳で他界された「えみさん(鈴木考子さん)」。

いずれの方も長年異国の地に長らく滞在することは、周囲が思うほど大変と思っていないように感じました。私はまだ20年ちょっとだけですが、私も何とも思っていません。そして、皆さん、いつも聞かれる質問で「どうして日本ではなく・・・」ですが、本を読む限り、特に理由があって海外生活しているというより、いたって自然にというような印象でした。えみさんもそうでした。

その質問は私もよく聞かれて回答しますが、結局のところ、運命というか自然の流れで・・・が本音かなと。異国の地に長く住み続けることは、自らの意志では難しく、別の意志がないと難しいかなと感じてもいます。

この本読んでいて、何故かとても印象にのこったのが、「からゆきさん」

当たり前ですが、私が今感じている、異国の地で長く滞在するのは何ともないと思うのは、いつでも日本に戻れるからであって、100年前当地に来られた方とは全く違います。まだまだやるべきことはたくさんあります。こう来たかぁ~と。

「からゆきさん」ネットでググってみました。

「鎖国が解かれてから最初にこの国へ入った日本人は、からゆきさんで、明治14年(1881)には既に10人の日本人がビルマにおり、このうち6人が女性、同24年(1891)には69人(うち女性が49人)、さらに同34年(1901)には114人(うち女性は86人)と、常に女の数が男を上回っており、女性のほとんどはからゆきさんで、男の大半は彼女らを監督する者たちだったとみてよいという。
 時が経過し、日本政府は「からゆきさん」を近代日本の恥部として大正9年(1920)、海外廃娼令を発布した。」(http://judo.daa.jp/z%20karayukisan.htm