Ms.Aye Thida(エーティダ) NO.8


Ms.Aye Thida(エーティダ) NO.8
生年月日 1976年11月6日
出身地:ミンガラドン(ヤンゴン郊外)
10人兄弟の3番目。生後4歳までは視力が正常。4歳の時にインフルエンザと麻疹(はしか)を併発して発熱。この時家族全員がインフルエンザで発熱したが最後に感染した彼女だけ麻疹を併発して意識不明に陥る。父親は当時路線バスの車掌や皿作りの工場、水を運んできて売る商売などして生計を何とか立てていた状態で、家財道具すべて売れるものを売り、最後は水売りに使う道具も売りようやくAye Thidaを入院させた。
1週間ほどで意識は戻るも翌日また高熱が出たため、水瓶に水を貯めて氷を入れ30分間彼女を浸からせ、その後注射して扇風機にずっと当てて熱を下がるのを待ったそうだ。この時点では視力に問題はなかったが時間が経つに連れだんだん視力が低下、その日の夜には全く見えなくなってしまった。その後も病院に1ヵ月半入院。入院期間中父親は家に戻り、母親は別の病室に入院している患者の服などの洗濯をして入院費を工面していた。
退院後通院するも視力は全く回復せず、医師には12歳までは手術はできないが手術したら治るとと言われたが12歳の時点では手術費がなく手術を断念。両親は必死になって働き手術費を貯めて病院に行ったが、今度は医師から手術したらもっと悪くなると言われ、親も彼女も視力回復は諦めた。
16歳の時に父親は再婚し家を出てしまい家族の収入は母親のみになる。家計はより厳しくなり家の屋根を替えることができず、雨の中家族全員でご飯を食べていたことは、今も彼女の記憶からは消えることはなく、この経験から目が見えなくとも長女として仕事をしてお金を稼ぎたいという気持ちがより強くなったそうだ。
長女の彼女は下の子供達の面倒もよくみて、全盲にも関わらず食事を作るのが得意。
19歳の時に母親も再婚。この時、隣に住む友達がヤンゴンのチミダイ国立盲学校のことを知り、盲学校の入学手続きを手伝ってくれ盲学校に入学することができた。
盲学校へは1998年に入学。マッサージ、セーターの編み方などを学んだ。19歳になるまでは学校には一度も通った彼女は読み書きはできず、兄弟から教えてもらった以外勉強したことはなかった。21歳の時盲学校の校長先生に点字を勉強したい相談し1年間に点字の勉強。現在点字を読むことができる。
将来のため、何かの技術がないと困ると考え、自ら歩く道としてマッサージの技術を勉強。
1999年に今の主人Ye Htut Win(NO.3)と出会う。全盲同士二人で助け合うことで、お互いがよく理解でき気持ちが通じ合い2003年に結婚。結婚後盲学校を出てYe Htut Win(NO.3)の実家に住み、近所の人向けにマッサージをして生活費を稼ぐ。2006年には男の子を出産するも3ヶ月で病死。2007年に男の子Chit San Lin君を出産し現在元気に育っている。2009年に二人にとって兄貴分のZaw Htwe Oo(No.1)がヤンゴンでマッサージ店(GENKY)をやらないかと誘うも以前同様な話があってヤンゴンへ行ったが全く失敗したことがあり迷ったがZaw Htwe Oo(No.1)を信じ二人でヤンゴンへ行きGENKYに参加。
将来の夢は、健常者と同じように平等に働きたい。健常者が一歩進むなら十歩進み、夫婦二人自分達の力で家を建て生活してたい。そして自分の子供には自分の子供時代のような経済的苦労はさせず、時代の先端の仕事をして社会に貢献できる子供、そして他の視覚障害者ののために尽力して欲しい願っており、そのために息子を全力でサポートし、子供に頼られる親になるため日々奮闘している。

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