ODA関係プロジェクトで駐在されていた橋本さんのエッセイ


先月、日本政府は対ミャンマー(ビルマ)ODAの再開の検討を表明しました。ODA(政府開発援助)はここミャンマーが世界最初の地。
今回、1970年代後半に日系商社駐在員として、ODA関係プロジェクトで駐在されていた橋本さんの貴重なエッセイを掲載させて頂くことになりました。
ミャンマーに訪れる日本人のみならず、多くの日本人に読んで頂きたいエッセイです。
是非ご一読ください。
「サンペイさん往訪」
「日本人戦没者慰霊碑再訪」
「もうひとつのビルマの竪琴」
~橋本裕一さんプロフィール~
1947年(昭和22年)生まれ。現在、大阪在住。
1970年代後半に日系商社駐在員として、ODA関係プロジェクトにてPyu(旧名Prome)市対岸のSinde地区に駐在。
その後、1980年代半ばから後半と、1990年代半ばにも首都に駐在。合計3回、通算10年余りの駐在経験あり。
1988年の民主化騒動を肌で体験、また国家と首都の名前が変更されたのも経験した。

2 thoughts on “ODA関係プロジェクトで駐在されていた橋本さんのエッセイ”

  1. 西垣様
    突然、しかもブログコメント欄から
    ご連絡差し上げることをお許しください。
    ご連絡先が不明だったため、
    このような形を取らせて頂きました。
    私は渡邉賢太郎と申します。
    現在世界を旅しており、昨日14日から28日まで
    ミャンマー国内に滞在しております。
    さて、ご連絡差し上げたのは
    一度お逢いしてお話を聞かせていただけないか、
    と考えているからです。
    と申しますのも、
    私は現在世界を旅する過程で、
    各国で活躍する日本人の皆さんに
    簡単なインタビューという形で
    お話を伺っているからです。
    昨夜、大使館で働いている岡崎さんをご一緒したところ、
    西垣さんのお名前を伺いました。
    今後の予定はヤンゴンを16日13時に出発、
    その後北部を旅して回り、ヤンゴンに戻るのは
    25日前後を予定しております。
    そこで、もしご都合がよろしければ
    九ですが今夜か、明日午前もしくは25日以降で
    お時間を頂戴することは出来ませんでしょうか?
    もちろん、
    御都合に合わせて、
    日程も場所もこちらが合わせます。
    ちなみに
    私は現在ガーデンGHに宿泊しております。
    不躾なお願いで大変恐縮ですが、
    何卒ご検討いただければ幸いです。
    なにはともあれ、
    本日も良い一日をお過ごしください。
    渡邉賢太郎

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