「死の鉄路 泰緬鉄道~ビルマ労務者の記録」を読んでみました。

「死の鉄路 泰緬鉄道~ビルマ労務者の記録」を読んでみました。

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まず、貴重で多くの人に読んで欲しい本だと思いました。
翻訳者の田辺さんがあとがきで書いておられます。「日本人では20万人もの人が戦病死した地であるだけに、体験された方が戦記を書かれている本は数多くあります。しかし、それらは日本人の側の声であって、ビルマ側のものはありません。この本は数少ないビルマ人が書いた本であるが、黒白をつけるものではなく、ビルマ人がそう見ていた。と受け取ってもらいたい」

中身は日本人には耳の痛い部分もありますが、当時の状況を想像してみると、たしかにその通りだと感じる部分は多々あります。当地でリサーチを行い、多くのビルマ人戦争体験者から話を聞いてきた経験からは、しっくりくる内容でした。

戦争は切り取ったところによって状況は変わります。
日本ではよくアウンサン将軍は日本軍が育て・・・という話が出ます。ちょうどこの本の前書きには、1946年12月18日タンビューザヤ軍墓地落成記念式典でのアウンサン将軍の演説があります。「4年前ぐらい前からわが国は戦火に見舞われた。戦火とともに日本の軍国主義たち、それに悪しきファシズムがやってきた」からはじまります。

ミャンマーは日本がイギリスからの独立を支援をしたので・・・と日本ではよく語られる部分ですが、ミャンマーの人からその通り!と言われたことはほとんどありません。また、日本でよく言われる、イギリス時代よりは日本時代がマシだった、というのも言われたことはありませんでした。本の中では「日本兵と仲良くしている、気にいられているビルマ人は優遇されて、その他は別の扱い、イギリス時代の階級社会と何ら変わらない」と語られています。同様なことは私も何度も聞きました。

当時の日本兵と今の日本企業戦士とがダブります。
ミャンマーに駐在している日本の人は大きく二つに分かれると思います。ミャンマー人が好きな人とそうでない人。現地に溶け込み地元の料理を食べる人もいたら、食事が合わない、汚い、電気がない、指示が守れないと文句ばかりいう人。
戦時中もそうだったような気がします。
溶け込んだ日本人には地元の人はサポート。逆に溶け込まない人は・・・。
戦況が不利になり撤退になれば、仲良くしていた人を地元の人は助けますし、そうでない人は想像ができます。そう考えれば、生き残って生還された方は、仲良くしていた人が多い、だから「ビルキチ」みたいな言葉が生まれたのではないのかな、と、この本を読んで感じました。

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ミャンマーの人は日本人が戦時中行ったことを知った上で親日の人が多くおられます。日本人も実際日本人がこのビルマの地でどういうことを行ったのか、それを直視しその上で今のミャンマーとつきあっていくことが大切だと思います。
ミャンマーの人のことを理解することがミャンマーでのビジネスの成功のカギ。
そのためには、戦時中のことから理解していくことが大切なように感じます。
この本、絶版ですがアマゾンでは簡単に手に入りますので、ミャンマーとビジネスしている方はぜひ!